寛文三年(1245)に光明峰寺道家卿(鎌倉将軍藤原頼経の父、藤原道家)の居館の址に創設されたといわれるが、文明十四年(1482)に、安濃郡長野(工藤)の一族・伊藤重晴が、この地に来て再修して居城した松ヶ島城もこの地であり、押付・殿名・竹橋の三箇所にも保砦を築くなどしてその守りを固めている。
伊藤重晴は当時北勢四十八家の一ともなり、勢力を増強していた。一方この時代には杉江郷の願証寺は次第にその浄土真宗門徒衆が多くなって教勢を伸ばし、伊藤重晴一族の圧政と対立した。そして元亀元年(1570)願証寺第三世證意がその門徒衆を率いて、長島城を夜襲し、重晴一族を滅して長島城主となり、仏法王国を形成した。その後長島願証寺は織田信長の命に服せず、前後五年間の抗争、長島一向一揆が起こる。しかし天正二年(1574)九月二九日、遂に降伏し、落城した。信長は桑名矢田城主・滝川一益に附属させた。やがて、信長に替り天下をとった豊臣秀吉は、長島城を織田信雄に献じ、信雄は本城清州城と兼有することになったが、天正地震で長島城が壊れ、清州城に移るまで長島城に居城した。
天正大地震では天守閣以下が全壊、焼失した。飯田半兵衛はすばやく茶道具を取り出し、秀吉から称賛された。
参考:飯田汲事『天正大地震誌』(名古屋大学出版会、1987年)125、127頁