平島村にある。長益和尚は、当村の国寺の開山で、天正・文禄中(1573-96)の人である。もとより道徳堅固の智識だったが、ある時、里民が和尚のもとに来て、酒など勧め、醉った勢いで公訴の目安を書かされた。
その後公難が起こり、近郷の関係者が、悉く処罰されようとした時、この目安を書いたのは長益で、公事の張本人であると、姦計の者どもが申したので、和尚は無実の冤罪なる事を訴えたが、多勢の姦者を相手に、永く申し訳しても詮なき事と生者必滅の理に安心し、終に死刑に処された。不思議なる哉、首を刎ねし時、白い気の蓮華が彷彿と現われたという。
冤罪で高僧を殺したことに諸天善神は怒りなされ、その後近郷の農民は疫病にかかり、死ぬもの数多であった。かの霊の崇りだろうと、首を埋めた所に塚を築き、しるしに松を植えて、若宮松と名付けた。近年、松は枯れて塚のみ残す。その他、血のこぼれた所にも、それぞれに嫁を築き、体を埋めた所には、慶安三年(1650)里民が石碑を建て、また当所の寶國寺に像を安置した。十一月十七日が命日なので、例年この日の群衆は多い。すべてこの塚に諸病諸願を祈誓し、霊験空しくなく、世の人はこれを崇敬して、参詣の男女は常に絶えることが無い。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)