伝え云う、むかし橋爪村の農民勘五郎という者、ある年の夏、田に水を引こうとして、青木川のほとりを徘徊していたところ、同じく水を引く近隣の人に出会い、互いに口論し、終に討たれたが、その母はこれを聞いて、悲嘆にくれ(愁傷大方ならず)、共に死んだが、その幽魂がこの地に残り、夏の夜の深く更けた頃にこの辺りの田野に妖火が現れ、寛延年間(1748-1751)まで四百年余りの星霜を経て止まらなかった。

その頃犬山の徳授寺の大陽和尚が一首の偈(詩句)を詠み母子の追福(供養)を営んだところ、妖火は永く絶えたという。かの和尚が作った鎭妖火頌(しょう)と序文があり、その序文は長いので略し、偈のみを記す。

四百強年母子魂。隱憂相結託橋村。江流今幸修冥福。當下豁門甘露門。
寛延三年歳在庚午八月二十二日

(:四百年あまり前の母子の魂。深い悲しみ苦しみ(隱憂)が残り橋村に託されている。木曽川の流れのほとりで、今幸いにも冥福をお祈りする。これによって苦しみの門(豁門)は救いの門(甘露門)となった。寛延三年(1750、庚午)八月二十二日

参考:『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

犬山市橋爪中屋敷29番地
種別