臨済宗、京都東福寺の末寺。山号は榮松山。
山田次郎重忠、父母及び兄の菩提のために、山田圧のうちに三箇寺を営み、長父寺・長母寺・長兄寺と名付けたが、長父寺は早くに廃し、守山の長母寺とこの長兄寺のみ残った。後世、今の文字に改めたのはいつのことなのか、詳らかでない。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)