義仲入郷の伝承が残る

平治年中に木曽義仲がこの地にきて、一字を建立して「義仲寺」と命名した。その後、彼の息女糸姫が家臣樋口三郎に伴われ、持仏を納めて境内に桜を植えたと伝えられる。鎌倉末期の正中年間に近江の永願寺より、または鎮守として室町中期の文安年間に、禅宗として宝聚院と改名された。明治の神仏分離の際に、当地へ神社が移転されたといわれている。

『平家物語』によれば、義仲は幼少の頃、乳母人の中原兼遠に伴われて、時々都へ上った。また、挙兵後、入京の途中で戦勝祈願をしている。義仲追討の墨俣河の戦に下向の折、娘子軍の一人であった息女を当地に残して、その後、彼の菩提寺としたという古老の話もある。

なおこの入郷説は確実な史料はない。

大垣市上石津町牧田
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