清凉山栄國寺。橘町裏の東側にある。浄土宗、京都禅林寺・光明寺の末寺。

ここはもともと殺戮の地(俗にいうお仕置き場)として、キリスト教(耶蘇宗門)の凶徒一千人余り、処刑した地である。

寛文五年(1665)に刑地が春日井郡土器野へ移されたため、同六年(1666)にその跡に一堂を建立した。そして丹羽郡塔野地村薬師寺の六丈(約4.85m)の阿弥陀の仏像を移し、西光院の僧可信の隠居所として、「清凉庵」と名付けた。

貞享三年(1686)から「藤田寺」と称し、京都禅林寺の貞準和尚を開山としたが、同年の秋にまた改号して、今の山号寺号(清凉山栄國寺)で呼ぶようになった。

  • 本尊:六丈の阿弥陀の木像。霊仏である。
  • 千人塚:切支丹の族を誅殺したあとである。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市中区橘丁目番
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