須佐村の海辺にあり、東は小佐の山、西は須佐の地、長く南へ張り出でて、入江となっている。
一名を、かるもが浦ともいい、あるいはあら井ともいう。また『類字名所和歌集』(元和三年-1617)には攝津の名所としているが、契沖法師の『勝地吐懐編』(元禄五年-1692)に、須佐の入江は東國の地名であるという論がある。『冬くればすさの入江云々」 これは『萬葉集』第十四東歌に、「あぢのすむすさの入江のこもりぬの云々」これを取って用いられる。國未勘なれども、あずまうたであるので、攝津ではない。同十一にも、「あぢの住むすさの入江のありそ松云々」と詠んだとある。
『萬葉集』(奈良時代末期、629-759)
味乃住渚牟沙乃入江之荒磯松我乎待兒等波但一耳
アデノスミ スサノイリエノ アリソマツ アテマツコラハ タマヒトリノミ
よみ人しらず
阿知乃須牟須沙能伊利江乃許母理沼乃安奈伊伎豆加思美受比指天
アヂノスム スサノイリエノ コモリヌノ アナイキヅカシ ミズニサニシテ
同
『續拾遺』(正応六年-1293)
夜をさむみ 須佐の入江に立つちどり 空さへ氷る 月に鳴くなり
権律師公猷 夜が寒いので、須佐の入江に立つ千鳥が空さえ凍るような月夜に鳴いている
冬
『續後拾遺』(嘉暦元年-1326)
みさごゐる すさの入江にみつ汐の からしや人に わすらるる身は
登蓮法師 ミサゴ(水鳥)がいる須佐の入江に満ちる潮が辛いように、人に忘れられた我が身も辛い
『夫木』(鎌倉時代後期-1310頃)
菖蒲刈る すさの入江のこもりねに おちたつ田子の 袖もぬるらし
後鳥羽院御製 端午の節句のために菖蒲を刈り取る、須佐の入江の隠れた見えない沼にはいった百姓の袖も濡れていることだろう
夏
『爲家千首』(貞応二年-1223)
あぢのすむ すさの入江のあしの葉も 緑まじらぬ 冬は来にけり
為家卿 緑まじらぬ=緑色が失われ枯れた
冬
当郡の東西の諸村で獲られる。形が大きく、味も他にすぐれているので、当郡の名産である。とりわけ須佐のあぢは、『夫木抄』の戀歌(こひか)の中に、家隆卿が「戀をのみすさの入江にすむ魚のうきのしづみぬあぢきなの世や」と詠まれ、名高い。この歌は『萬葉』の古歌に因るが、あぢ鳥を魚に読み替えて詠んだことがおもしろく、『八雲御抄』にも、あぢは魚の名であると書かれている。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)