長塀筋・善光寺筋の西角にある。水野定光寺の別院(通所)である。

もとは武土屋敷であった。しかし、世にいう皿屋敷の物語に似た妖怪の俗説があり、住む人もいなくなったため、元禄二年(1689)に草堂(簡素な堂)を建て、中島郡妙興寺の塔頭泰陽庵の僧を招いて住持とした。のちに定光寺の竺堂和尚が通所(本山の出張所)とした。

寶暦年中(1751-1764)に堂宇を造営したが、薬師堂の屋上に鷄の飾りを上げたことから「とりやくし」とも、また例の皿屋敷の話により、「皿薬師」とも呼んだ。その頃は、鶏薬師桂昌山久法寺といった。

明治維新の際、廃絶したが、明治十九年(1886)、定光寺塔頭蔭凉院を移して再建し、今の寺号に改めた。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市東区白壁1丁目37番地
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