篠島は師崎の南方、海上一里ほどにあり、周囲三里の島である。民家は頗る豊饒である。
伝えによれば、篠島・日間賀島・佐久島の三島を当地の者は「三國」と称すという。これらの島はもと勢州度會郡に属し、山田庄繼橋郷といい、伊勢神供年中千鯛三百六十頭を貢じたという。
伊勢神宮の末社が十六社あり、神明宮は頗る大社で「あらみたまの神社」という。故に二見が浦に遙拜所がある。また八王子社もある。これも大社で、伊勢遷宮の年にはその古殿の御金具を以てこの両社を造営したそうだ。中世には志摩國にも属し、『神鳳抄』に「志摩國答志郡篠島」と見える。その答志郡へは近い。
寺院もまた十一宇ある。文祿年中に豊太閤(豊臣秀吉)が尾張海西郡の長島を以て伊勢に属し、篠島を尾張に定められたという。
この島から四望すれば、勢・志・三の諸山が一回顧につきる。微風といえども、大波は山岳を動かすがごとく舟行は甚だ難しい。南は海上広々として、眼を遮るものなく無辺の大洋に通じる。実に一小天地にして、民屋は二百余家に及ぶ。また当国の罪人をこの島に配流したことがあるといえども、土人とは混ぜず、島の中においても特に区別したという。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)