開明小学校内にあり石碑が建てられている。

天文美濃攻め

天文16年(1547)9月織田信秀は斉藤道三を攻撃すべく美濃へ乱入した。信秀を大将とする3千余騎は、小越渡・黒田渡口より木曽川を渡り川手城に向かい、22日に稲葉山城下までせまった。町の入口まで攻め込むも、夕刻撤兵しようとしたところ道三勢に追撃され混乱に陥った。また天候が急変し、尾張川(旧木曽川)の増水により数百人が水死、命からがら十町野(現祖父江町拾町野)までたどり着いた。この戦闘で野武城主坪内将監(しょうげん)が討死した。

その後、野府城として織田九郎兵衛信政の居城となった(『寛文村々覚書』)。信政は織田信秀の五男で信長の弟。元亀元年(1570)の姉川の戦の際、近江坂本を守備していたが、浅井・朝倉両軍の攻撃を受けて9月19日討死した(『信長公記』)。26歳だったという(『系図纂要』)。

参考
尾西市史編さん委員会『尾西市史 通史編 上巻』(尾西市役所、平成10年)

一宮市開明桝井戸
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