本巣郡法林寺村。藤崎泰綱の居城。昔、中納言定家(藤原定家)の古い館地があった。なお、これより後にも祐向山城主は有り。
美濃国は承久の乱(1221)後も依然、院分(上皇の知行地)であった。そう考えると、土岐光衡のあと、守護は補任されなかったとも推測できる。ただし『尊卑分脈』の清和源氏義光流の藤崎泰綱(十郎四郎)の條に、美濃国守護代との注記がある。当時、泰綱の弟・長村は七代執権・北条政村の子である時村(嘉元三年-1305-四月討死)と共に自害したと伝わるので、おおむね弘安(1278-1288)前後と見てよい。
泰綱は本巣郡法林寺村の祐向山城に居たと伝わる(『美濃明細記』)が、この一代のみ。
参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)
『濃飛兩国通史 上巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)