加賀野城跡

もとは加賀野城があったが、今は八幡神社がある。

城主は後藤氏が代々居城した。後藤氏の祖の後藤五郎左衛門基直が、土岐氏に仕え、当地である世安荘を領した。

その子・後藤左衛門裕政が継いだが、応永(1394-1428)の頃、土岐康政が頼益に攻められ屈服して以来、流浪の身となる。その子・後藤四郎兵衛祐直が家を継ぎ、将軍・足利義政に仕えた。刀装金具の彫刻を業とし、近江坂本に二百貫を給せられ法橋に叙された。やがて、加賀野に帰郷した。

その子・後藤佐渡判官高政が継ぎ、将軍足利義稙に仕えた。その子・後藤右京高次は、斎藤義龍(道三)に属し、弘治の役の軍功で本巣郡北方を与えられ、砦を築き移った。加賀野には家臣日比太三郎を置いた。永禄四年(1561)六月一日、三塚城主・種田信濃守が、氏家直元に従って加賀野城を襲撃。高次は家臣らと防戦するも、同月三日自殺し落城した。子・直次は尾張・聖徳寺に逃れ、のち信長に仕え、その子・直泰は織田氏滅亡後に加賀野に閑居した。

参考
『新修大垣町史 通史編 一』(大垣市、昭和四十三年)416頁