むかしは那古野の町はずれで、ここから南の方は田野であったため、天保の頃(1844)にも開帳札などが多くここに建てられていたのはその名残である。東に庚申堂、西に柳薬師などあり、はなし・物まね・諸見せ物・居合抜に歯磨き売りなど、常に群れ居て往来の人の足を留める。
とりわけ夏月納凉の頃は、貴賤を問わず袖をつらねて群集し、辻売りの夜店・茶店の燈火が煌々と輝き、遊興に夜の更けるのを知らず、実に夜陰の壮観であった。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)