段丘西平南端に位置する。大正四年(1915)五月の耕地整理により壊され、岩室の材石を用いて「七本松の墓」という碑が建てられた。
墳丘頂上の北と南に二個の直立石があり松が生えていた。掘削すると蓋石とその下から横穴式岩室が見つかった。副葬品は大刀・小刀・蕨手刀・円頭太刀各一・鉄鏃五・鉄組などの鉄器、𤭯(はそう-現在所在不明)・脚付坩一、高坏十一・提瓶二・平瓶・盌各一などの須恵器など。(『大和村誌』富田幸一、大正十三年)
直径約8mの円墳で、内部には南向きの岩室があり、羨道は幅約1.2m、奥行1.82m、玄室は羨道より天井が一段高く、奥行は約2.4m余ある。(『揖斐郡志』)
北方小学校に出土品の一部が保管されている。
参考
『揖斐郡志』(揖斐郡敎育會、大正十三年-1924)800頁
『揖斐川町史 通史編』(揖斐川町、昭和四六年)86-89頁