田付正景は、田付流砲術の祖・兵庫助景澄の子として、慶長元年(1596)に近江国神崎郡田付に生まれた。幼名兵助、のち左太夫と改めた。
慶長十年(1605)、江州膳所ヶ崎で初めて戸田氏鉄に召し出され、合力米を与えられた。元和三年(1617)に氏鉄が摂州尼ヶ崎へ転封したときこれに従い、同四年(1618)七月八日に知行永代二百石を受け、同月二八日知行目録を下付され、鉄砲術師範役となった。寛永十二年(1635)氏鉄の大垣移封に従い清水馬場に邸宅を与えられ、のち船町全昌寺屋敷へ移った。同年十一月持筒頭に任ぜられ、同十四年(1637)の島原の乱には持筒頭として従軍した。寛文九年(1669)九月五日に引退し、同年大垣で病没。年七四歳。
二代左太夫正澄が後を継ぎ、三代正十・四大正周・五代景定・六代正友・七代景昌を経て、八代兵助景賢に至った。代々左太夫と称し、藩の砲術師範役であった。
参考:『新修大垣市史 通史編一』(大垣市、昭和四十三年)535頁