嘉祥二年(849)、池田郡で初めて『延喜式』の官社に加えられた。続日本後期巻十九には「美濃国池田郡養基神、預官社、縁有霊験也」と記されている。三年後の仁寿二年(852)には伊富岐神も官位に列し、養基神社の官社編入はその前後である。『新撰美濃志』は「八木大明神社は田村村内にあり…里俗池田一郡の惣社なりといふ」と記す。

当地の北に東西に長い大字粕ケ原があり、三つの集落が点在する。かつて粕川は春日谷から東南東へ流れていたが、のちにやや北へ向きを変えて東流するようになり、旧川筋は涸上って河原となった。これが粕河原であり、江戸時代に開拓されて加須河原新田と呼ぶようになった。旧粕川の南岸に接して建っているのが当社で、粕川の洪水破堤をくいとめた霊験があり、官社に列せられたとも推測できる(『池田町史』)。

参考:『池田町史 通史編』(岐阜県揖斐郡池田町、昭和五十三年)193、194頁

揖斐郡池田町田中
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