臨濟宗、沓掛村定光寺の末寺。当寺は金神社の宮寺で、行基菩薩(668-749)の開窟。山号は小金山。

その後、星霜(年月)を経て寺伝も薄くなったのを、元禄の頃(1688-1704)の住僧薫闍梨が古い木牌一枚を探り得たが、行基菩薩が開基した由が記してあったので、 はじめて開山の名を知った。その頃如得子が書いた『開山木牌記』に詳しい。文が長いので略す。如得子は元禄の頃この寺に寓居したが、当山の八景を作って歌を詠んだ。その名目は、猿投朝霞・寺前白櫻・門田梅雨・前山秋月・橋邊紅葉・大平暮雪・東谷松風・幽溪清泉等である。その序文のなかで、東谷の松風には東門の瀧を詠み合わせ、幽溪の清泉は國守の鹿狩・茸狩の折々に汲ませたことをおもったことは記されている。

本尊 正観音・千手・馬頭・不空・羂索・如意輪・十一面の六躯を安置する。共に行基の作仏である。その霊験は著しく、感応あったため、世に感應佛と称したが、やがて寺號となった由が寺伝にある。むかしから秘仏で、住僧といえども厨子を開く事なしという。脇士不動・毘沙門。またその脇に天照大神・春日の神像を安置し奉る。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

瀬戸市
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