巾下新道町の北西側にある。臨済宗、京都妙心寺の末寺。山号は五峰山。寛永十四年(1637)の建立、直傳和尚を以て開山とする。
天満宮祠。当寺大檀那の元祖天満屋九兵衞の寄附で、今なお天満屋が修理を手当するという。この家は慶長(1596-1615)の頃からの富豪の商家で、その四代目の曲全齋という者は気風に非凡であった。千原叟の門に入り茶の奥義を究め、終に真の臺子を皆伝し、曲全流を創始した。当時同門の太郎菴と共に名高く、天下の名器も多く蔵貯した。また詩歌・書画にも秀で謝青菴とも号す。寳暦十一年(1761)高齡で八十三歳で生涯を終えた。
その孫の玉春齋は曲全流を継ぎ、專ら風流を事とし、橘町の別荘に隠居して左市と称す。ある時、小茶室の展開が自在なものを造り、持ち運びにも便利であったので、これを「蝸牛庵」と名付けて、わが意の適する所に従って点茶をし、また自らも蝸牛庵と称した。千村伯就翁の蝸牛庵の記があるが、文が長く略す。左市の没後、当寺に寄附して、今も寺伝する。天満屋の子孫は幕末頃には八代目であったが、なお連綿として家名が続いている。およそ茶に名のあるものは、瀧新左衞門をはじめとして乏しくないというが、ここでは略す。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)