永原村西北部にある。外壕は幅十間(約18.2m)長さ東五十九間(約107m)南六十一間(約111m)西九十八間(約178m)北七十二間(約130m)。石垣四方に残す。中央は回字形で、竹や樹が茂生する。
往古、六角氏が城を構え、元亀年中(1570-1573)には織田氏の将・佐久間信盛が城を守った。慶長十八年(1613)七月、徳川家康が大坂より東帰の際に宿した。十九年(1614)七月の德川秀忠西上の際にも館した。寛永三年(1626)秀忠の入朝の時にまた舘し、十一年(1634)七月德川家光が入朝の際も館した。その後、廃して墟となる。明治は民有になり茶畑を開き、唯その残址が残るのみ。
参考:『近江名跡案内図』(静里北川舜治、明治二十四年-1891)