近世に川の利用が盛んになり、川沿いの村には土場が置かれ、船が着いて薪や炭が河川により輸送された。それぞれの村には土場運上として課税された。

久瀬村誌153頁

小津川左岸の高いところに小津までの街道がある。

小津から木炭が運ばれて、土場から舟で下流へ向かった。

小津の女の人は、夜明け前に主人を山の炭焼き場へ送りだして、土場までの一里(約4km)の道を、長さ3.3尺(約1m)で重さ十貫(約40kg)ほどの白炭の俵をせおってやってくる。朝、暗いうちに出かけて、夜明けに土場に着くように弁当を持ってきて、ここでお昼を食べる。お昼といっても八時頃。この人達のことを「持子」といっていた。

まだ寝ている内に森前の土場から舟が上ってくる。一人はさおをさし、二人は足なか(つま先の方だけのぞうり)をはいて、舟づるを引いてやってくる。上ってくる時は、たいてい何も積んでなかった。土場につくと、ご飯を食べて、港屋(昭和54年当時は菓子屋で、現在は営業していない)で足なかを買ってはきかえ、そして舟積みの仕事にかかった。それでこの港屋の前の石垣には捨てられた足なかが山のようになっていた。下からの食料や荷物は、車道を手車(荷車)で運ばれてきた。

揖斐郡揖斐川町
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