※正確な場所は不明

交通の要衝として

明治二十年(1898)に岐阜街道、同二二年(1889)に根尾街道、同二三年(1890)に美江寺街道が相次いで開通すると、黒野はその交叉点として次第に要地となった。やがて市小屋を設けて三と八の日に市が開かれた。「黒野の三八市」と称し、商人や消費者が集まり商店も生まれ、揖斐に次ぐ商業地へと発展した。

行商人の往来も見られるようになり、近江の足袋やローソク、越前の紙、一宮・笠松の織物、富山の売薬など、商品を背負ったり荷車で引いたりして行商に歩く姿が見られた。

歓楽街の形成

行商人の多くは黒野に宿をとったので、昭和三年(1928)には料理旅館11軒、芸妓置屋4軒、芸妓37名を数え、西濃地方屈指の歓楽街として賑わった。

大正初期(1910-)に、繭の仲買人達が建設した集荷・荷捌場は、後に劇場・丸合座として使われた。また昭和(1926-)に入っては黒野劇場も開設された。

町並の拡大と大野町内の商圏

黒野は旧岐阜街道を中心に発展し、大垣街道の303号線まで、また旧根尾街道の大野小学校辺りまで町を形成した。その後、名鉄電車の開通によって黒野駅周辺と南北が発展した。

当時の大野町内の物資の調達は、富秋・豊木・大野地区は黒野、西郡・鶯地区は揖斐町、川合地区は神戸町が主でだった。

参考:『大野町史・通史編』(岐阜県揖斐郡大野町、昭和六〇年)852-855頁

揖斐郡大野町黒野859番地
種別