名古屋城下の南の果て。市部庄古渡また舊渡とも書く。『明月記』によれば、
尾張國舊渡者、往昔海潮沒岸之跡趾也、予赴東方之時、自鳴身到於此云云
(:尾張國の旧渡は、往昔海の潮が岸に没した跡(境、即ち海岸のこと)である。私が東方に赴く時、鳴海からここに到る、云云
と見える。
東へくだるとて [中略] 古渡
『明日香井和歌集』
むかしよりその名かはらぬ古わたりさても朽せぬ橋柱かな
參議雅經
(:昔から、名の変わらない古渡であるが、それにしても橋の柱は朽ちないことよ。
公卿、飛鳥井雅経
『日本靈異記』に愛知郡片蕝里、また舊本『今昔物語』に愛知郡片輪郷とあるのは、この「古渡」の古名である。また「一女子村」という事もあった。むかし裕福の人に七人のむすめがあったが、成長した後、七つの所へ嫁ぎ、姉の住んだ所を「一女子村」といい、 後世に「古渡村」と改号する。 二女子以下が住んだ所も、 地名となり「二女子村」「四女子村」「五女子村」はここから西南の方に今もある。また、三女子は露橋村及び小塚村地内の字、六女子は丸米野村の字に残り、七女子は今は小村で戸数無く、小塚村が支配し、すべて七人の娘が在住した地名は今に残る。また、この七人のむすめは、道場法師の孫女で、姉は尾張宿禰久玖利の妻であったともいう。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)