松尾山村にある。廐戸皇子が開基した。昔は天台宗の大寺で支院は九十三坊あった。織田信長の時、悉く破毀され寺領を没収され堂宇は荒廃し、支坊は皆民居となり、僅かに仏像が残るのみ。

その頃、松尾山に頓宮某があり、一草菴に香花を奉じていた一絲和尚退老の地となった。寛永の季(1630年代)一絲召に応じて入内して、此寺の縁起を奏上した。正保元年(1644)六月十八日、勅使代参として白銀二百枚を賜り、頓宮氏は岩倉大納言・芝山中納言に謝した。欲二年(1645)伝奏が勅され、淸凉殿を賜って本堂としたが造営の功未た成らなかった。一絲寂して妙心寺派の僧聞溪がここに住して梵鐘を鋳造した。南禅寺派の僧・獨和はここに居り黄檗山の龍溪を請いて中興の開山とし、後正明寺の勅額を賜った。また、普明院宮より後水尾帝の尊像を寄付された。

参考:『近江名跡案内図』(静里北川舜治、明治二十四年-1891)428頁

蒲生郡日野町松尾560番地
種別