境内にある。初め古城跡の小字「欄干」の畑中にあり、古くから虎石と呼ばれた。長浜城時代の泉石で、秀吉遺愛の石と伝えられる。
維新前に大通寺新御座の庭園に移された際、当時の智明院尼が三夜にわたって夢で、虎石が泣いて旧地に返されるよう請うので、急いで元の畑中に返されたという。
明治三十年頃(1897)、故浅見又蔵が豊公を祀る当神社の境内に移した。
参考:中川泉三・中澤成晃・北川貢造・北村哲雄『近江長濱町志 第三巻 本編下』(片岡英三、昭和六十三年)564頁