床(とこ)島 宗碩の『藻鹽草』(16世紀前半頃)には當國に入れてあり、また宗衹(そうぎ 1421-1502)の『方角抄』には「内海などいふ所に近し」と記す。これは今の常滑をいうという。しかし床島といわず、常滑と書かれた物は、古く永正四年(1507)に宗長が『宇津山記』に「伊勢多気に一日連歌云々、七月十七日に大湊まで出でて、尾張國智多郡常滑といふ津に渡る云々」と見え、宗牧(1455-1537)の『東國紀行』にも、「常滑まで急ぎ侍る云々」と記されているので、床島は別の所である可能性もあるが、いまだ確証はなく後考を待つほかない。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)