慶長年中官命により、伊那備前守木曽川整備の為、起・小信境なる五ッ城川(小信川)口を突留めんとして工事を創めたが何分難工事で、幾度突留めても直ちに堤防下手から河水渦をまいて湧き上り、何共方法がないので、生贄を水神に捧げる事になり、小信の人与三辺衛と云ふ人が、自ら進んで人柱となり、立ち乍(なが)ら埋め込まれて、遂に此大工事を完成したが、以来雨の夜毎此辺りに怪火の飛ぶを見たので、今尚この地を与三ヶ巻と称へ、
起東の中島西に 人の灯さぬ火が見える
といふ俚謡が人口に膾炙されている。
金刀比羅社の境内に「人柱与光観世音菩薩」の碑が立てられている。
参考:『起町史 下巻』(昭和三十年刊・但書かれたのは昭和十九年代)