貞治五年(1366)に永源寺開山・寂室元光の法嗣である巌唯一が天台宗を禅宗の臨済宗永源寺派に改宗して開山した。開基は足利基氏で、寺領二百余石を与え大鐘を寄進したという。
当時、足利幕府は永源寺派を厚く保護していた。永源寺は滋賀県高野にあり、康安元年(1342)、近江守護・佐々木氏頼が開基し、寂室元光(円応大師)が建立した。美濃では臨済宗妙心寺派の中心といわれるが、当地を通過する裏伊勢街道は永源寺に参ずる僧の托鉢・修行の往還の通路であったようで、この道沿いに幾つか創建されている。
当寺は五院頭塔が分担して寺務を掌り、住持も各頭塔より輪番で出されるなど、一山としての体制が整っていたようだが、永禄七年(1554)に火災に遭い、堂宇・朱印状は焼失した。のちに方丈(本堂)は再建されたものの、太閤検地で寺領の大部分を失い、天正十五年(1587)に十三世・彭沢和尚の示寂するとともに永源寺派の法灯は途絶えた。
慶長元年(1596)、春沢が妙心寺第六世蘭畹の法嗣・文革元郁を開山に迎え、妙心寺派の禅院として再興した。この春沢の代に石見検が実施され、太閤検地で認められていた寺領が除地として認められた。「寺領地故、外の百姓並の寺とは違申候、…何願にても庄屋同道入申さず候、願書に庄屋の奥書印形入申さず候」といった記録が残っている。
開山像 明応七年(1498)十月に京都の仏師・成済に造顕させた。
参考:『上石津町史』(上石津町、昭和五十四年)162-166頁