十七條城

正中の変で落ち延びた土岐氏

※詳細な場所は不明

本巣郡船木庄。

土岐氏、改め船木氏

はじめ船木三郎頼胤が城主だった。頼胤の本姓は土岐で、後醍醐天皇の倒幕計画、正中の変に参加し、のちに船木氏へと改名した。暦應元年(1338)五月十一日に没し、法號は秀山道供で、美江寺の過去帳にその名がみえる。その子、武藤二郎頼實は母方の姓に改めた。鹽津合戰で討死。

その後、二階堂三蔵、その子・二階堂安右衛門、仙石権左衛門秀豊と続いた。秀豊は嘉吉二年(1442、戌)十一月十七日に病死し、法號は雷峯道寛である。

林氏

和田五郎兵衛利詮、林左近の子・林佐渡守正長へと続いた。正長は、享禄年中(1528-1532)に城を改築して居住した。その子、林玄蕃は、永禄五年(1562)の軽海の夜戦で討死した。

その次の城主、正長の次男の林宗兵衞正三は、天正六年(1578)四月三日に没し、法號寛月宗木大禪定門という。

一説には林佐渡守正三が高須に居城したともいわれるが、明らかでない。正三の子は、のちに稲葉一鐵の庶子である稲葉兵庫頭重通の養子となり、家督を継いだ稲葉佐渡守正成である。

参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)