揖斐川に設けられた渡船。川幅こそ比較的狭かったが、川底は深く、流れが急だった。名字帯刀を許された馬淵家が船年寄を世襲し、二人扶持・段木(つた)二間を与えられて、渡船の一切を仕切っていた。
慶長七年(1602)六月十日、奈良屋市右衞門と樽屋三四郎より、ろくの渡り船頭宛てに渡賃が定められ、荷物は一駄永楽三文、乗馬は同二文、連雀(れんちやく)商人(背負子で荷物を運ぶ行商人)は同一文とされた。大久保十兵衞、板倉四郞右衞門、加藤喜左衞門、伊奈備前等が連署している。(『馬淵文書』)
年貢の積出しも行われた。
参考
『濃飛兩国通史 下巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)