正式には伊富貴山観音護国寺と称し、伊吹四護国寺の一つとして観音護国寺を継承している。光仁天皇の御願に三銖沙門安祥上人の開基で、護国寺四カ寺の随一とされ、本尊は行基作の先手観音であり、陽成天皇の「伊富貴山観音護国寺」の勅額を賜ったと伝える。その後、後醍醐天皇から僧・綱職の綸旨や長尾庄鳥羽上郷を賜った。
寺伝では、貞和三年(1347)に伊吹山中から山麓の現在地に移ったとされるが、正元年間(1259-60)には既に移転したことかが史料から確認できる。文永十一年(1274)に鐘楼、弘安四年(1281)に本堂が建立され、寺観が整えられていった。
坂田郡大原庄の地頭・近江守護佐々木信綱の長子・重綱は大原氏を称し、居館を構え現山東町大字市場の地で大原観音寺を保護し、寺田の寄進を行っている。その後、織田信長により破壊されたが、豊臣秀吉により再興された。本堂は八面四面で、かつては二十五院あったが、現在は十四坊とされる。
参考
伊吹町史編さん委員会『伊吹町史 通史編 上』(伊吹町、平成九年)149頁
『近江輿地志略』(江戸時代)