養老二年(718)、越(現ベトナム)の大徳泰澄が開創した。本尊は薬師如来で、衆生の煩悩という病を除き実相真如の月を輝かせることから「薬師実相院」と称した。当初は水を湛えた堀の中に七堂伽藍が並んでいた。

しかし、保元・平治の乱で宝物が奪われ、しだいに衰微した。建武二年(1335)順海が九條大殿報恩院子息三縁院の願いにより(小川弘一文書)中興し、国々を廻り実相院の堂舎を再建し、弘法大師の御影堂も建立し、参詣者は多かった。西方の惟然が薬師如来を本尊にしたいと願っていた折、何者とも知れぬ女人が像を持参し、これを本尊としたのだという(小川弘一文書)。

本尊薬師如来には日光・月光及び十二神将が侍り、右には護摩所が置かれ不動明王を祀った。境内には経蔵・鐘楼・南總(総)門が並び、寺家五ヵ寺が軒を連ね、相生松が立っていた。鎮守として八幡大菩薩を祀り、本堂奥には善女竜王影向の池(八功徳池)があり、側には代々住僧の石碑があった。

建武中興から211年後の天文十五年(1546)に斎藤利政(道三)の内乱で井ノ口から乱入した軍勢の兵火に遭い、堂舎は焼失・仏像・経巻などほとんど失われ、空海の手彫りの仏像だけ残った(『縁起』)。その後、九郷庄牧村の源十郎女性が薬師如来を造立し、天正十七年(1589)九月八日に権大僧都鏡覚によって開眼した。

寺家として日光坊・月光坊・宝淨坊・愛染院・先手院があり、末寺には来振寺(来振村)、東光院(高屋村)、宝蔵寺(五之里村)、寺宝寺(村不明)、光性寺(宝来村)など二八ヵ寺あった。

参考:『大野町史・通史編』(岐阜県揖斐郡大野町、昭和六〇年)231、232頁

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