弘仁六年、最澄が東巡していた折御嵩地方で疫病が広がっていたので、救済のため桜の大木で薬師像を造らせ開眼した。この桜の木の一部で三諦上人も薬師像を刻み、その像は土岐郡の桜堂に安置した。

正暦年中(990-994)、行智尼が可児で庵を結び、毎日この薬師を参拝していた。長徳二年(996)二月に尼ケ池に蟹薬師が出現する奇端があり、天徳に至って七堂伽藍が造られた。長徳四年(998)十二月、完工し比叡山檀那院先徳覚運を請して入仏式を挙げ、大寺山願興寺と名付けられた。

天仁元年(1108)九月に兵火で焼け、正治元年(1199)に再興され、土岐頼貞・頼康・康行・頼益ら代々の庇護を受けた。だが元亀三年(1572)七月四日に武田勢の放火によって焼失し、天正年中に地域の協力でによって仮堂を建て、天正一七年(1589)森忠政の喜捨(寄進)を得た。関ヶ原役後、大久保石見守檀那によって堂宇が修理され、元和三年に祖光尊が中興し現在の形になった。

本尊、日光・月光両菩薩像は平安末期のものとされ、他の諸仏も同末期から鎌倉時代のものといわれる。これら計二一体の仏像は、国の重要文化財に指定されている。

可児郡御嵩町
種別