割田村あたりの諸村の所々で、綿糸(植物性)・絹(蚕の繭から、動物性)・紬(つむぎ:節のある糸で作った織物)を製造・出荷する。そのうち割田絹を最上の名物とする。明治期には結城木綿・寛大寺木綿を織ることが盛んになった。
『神宮雜例集』に、「尾張國本封調絹九十匹云々。新封調絹二十五疋」と見える。正中二年(1325)に写された尾張國解文にも、「調絹及び精好生絲を此國より貢獻せし」ことが見え、『今昔物語』にも、尾張國はもとより絹糸・綿などある所で、多方面で重要だったと記す。
『國基集』
をはりの守にきこえさす事ありて
をはりなるはゞりのいとを手だまゆらはためのおれるきぬのきほしき 津守國基
参考:『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)