方県郡。◎河渡の宿驛の北にある。古は「江渡」と書く。城の遺構、碑は無い。
井戸十郎が、初めて城を築き、三百貫を領知した。
その後、伊賀伊賀守守就(のち安藤と改める)が隠居してここに居住した。後に道足、道息、道則と号した。
土岐頼藝から斎藤三代、信長以後までここに居住したが、その子・安藤伊賀守尚就、天正八年(1580)に信長の不審を被り、領地は没収された。信長に不審をかけられたのは、密かに甲州の武田に通じたという説が有る。
守就・尚就父子は武義郡谷口村に隠棲した。谷口の改田傳右衛門の妻は守就の妹であるため、そこに身を寄せたのである。
天正十年(1582)、本能寺の変を機に父子は再起を図ったが、◎北方の要害にて、稲葉一鐵により一族は戦死した。
参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)