究竟山圓輪寺。袋町筋大津町西へ入った北側にある。浄土宗、京都浮華院の末寺。
もとは正覚院という真言宗の廃寺の跡であったが、延享二年(1745)六月、図通(関通)上人が中興・改宗して、今の寺号とした。図通の字は無礙、海西郡大成の出身で、俗姓は横井氏である。幼年のころより奇代の名僧と目され、江戸、鎌倉、京都など遊歴した。十七歳のとき、祐天和尚から五重の相伝(浄土宗の奥義伝承)を授かり、念仏一派を開き修めて、この寺に居住したという。その事績は『關通和尚行業記』に見える。
今もなお常念仏が行われ、阿弥陀仏を称える声と鐘(鳬鐘/ふしょう)の音が昼夜絶えない。実にこの関通上人の余光である。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)