天文元年(1532)、三木直頼が円通寺を再興して、禅昌寺と改めた。

三木直頼の兄・明叙慶俊(妙心寺-龍泉門派)は、天文年中に武田信玄に迎えられ甲斐の慧林寺を中興した。のち岩村城主・遠山景前に迎えられ大円寺を再興し、御嵩の愚渓寺、次いで禅昌寺を再興した。明叙の没後、禅昌寺四世・希庵が岩村大円寺へ入った。これは武田氏が斉藤氏に備え遠山氏を味方にする政略とされる(『中津川市史』)。しかし希庵は武田氏の招きに応じず岩村に留まり、元亀三年(1572)秋山軍岩村攻略で討たれた。

応永十八年(1411)近江守護・京極高員(たかかず)が、足利義持の命により飛騨国司・姉小路氏を滅ぼした。その功により、本郡竹原郷辺に領地を得た京極氏は家臣三木忠右衛門正頼を代官として飛騨へ遣わした。

三木氏は勢力を拡大し、萩原桜洞城を拠点とした四代直頼は高山盆地へ進出した。直頼は禅昌寺を創建するとともに、丹生川村千光寺を再建し大鐘も寄進した。

下呂市萩原町中呂
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