門前町西側にある。正式名は北野山眞福寺實生院という。真言宗无本寺(=本山に属さない)である。伊勢大神宮の神主従三位度會行家の子の能信上人の開基で、中島郡大須庄北野村 にあったが、慶長十七年(1612)東照神君(家康)の命によって、住僧堯遍が今の地に移した。南朝の正平五年(1350)十二月十三日、後村上天皇御祈願の綸旨、東南院二品法親王の令旨も受けた。同じ御宇の文和元年(1352)、勅によって攝津國四天王寺の正観音の像を写して、当寺の本尊とする。同じ天皇の皇子土御門二品任瑜法親王、第三世の住職として、おぼろげならぬ勅願寺であったが、中世の騒乱に衰廃したのを、信長公が燈明田として北野の地を寄附したが、累年の水災に埋没したため、今の所へ移した。
当寺の法脈は三派ある。第一は伊勢國多気郡安養寺の寂雲和尚に由来し、禅密二宗を兼ねる。第二は奈良の東大寺の別当・法勢聖珍法親王の法脈。第三は紀伊國根来の中性院の法脈である。そのうち安養寺を正統とする。聖一國師の弟子である佛通禅師が安養寺の住持であった時、毎日大神宮に詣で、神告あって觸穢(死・出産など穢れに接触すること)を避けなかった。ゆえに、大神宮へ参詣する人々は、まずこの寺に来て茶を飲み火を改めてから、大神宮に詣でた。今、「明星の茶屋」と呼ばれるのは、その余波が残ったものである。
佛通禅師の遷化(死)の時、密教及び禅学の書籍、残らず能信上人へ附与したため、 今も大須に古写本の書籍が多い。
さて、この能信は歌人でもあり『續現葉集』春の部に落花がみえる。
きえがてに 猶ぞふりしく春の日の 光にあたる 花のしら雪
(:なかなか消えそうもなく、なおも降りしきっている。春の日の、光にあたり輝く白雪のような花
参考:『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)