かつては名古屋城下の石切町北の端西側にあったが、後に当地に移転した。終南山悟眞院光明寺。浄土宗、京都智恩院の末寺。應永二十五年(1418)僧笈井の建立で愛智郡中村に在ったが、後に清須に移し、慶長年中(1596-1615)再び石切町に移された。秀吉公幼年の時、光明寺で手習いしたという話は、この寺が中村に在った時の事だとも言われるが、そのようなことはなく萱津の光明寺である事は世に知られる所である。
参考『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)