美濃路の宿驛。朱印状と制札がある。西橋村もまたこの内にあり、共に元高合わせて981石余、堤役は免除されていた。元和二年(1616)伝馬役の者には米三十六石が支給されていた。伝馬・助郷は初め二十二箇村9930石余あった。
船橋に用いる白口藤縄は代官岡田将監から尾州領負担分の割符書付をもって、濃州御領分へ申し付け、これを加納家へ引渡した。ならびに境川船橋は竹中左京・高木等の衆にてよって架けられらるため、この両所へ渡す。
慶安年中(1648-1652)は宿馬は百七十匹ほどあったが、元禄二年(1689)の呈記(幕府への報告書)には宿馬五十匹、宿人足五十人とある。(『古義』)
参考
『濃飛兩国通史 下巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)